11年前の今日、私は千葉の銚子に近い場所にいました。
銀行で用を済ませて帰ろうとしたそのときに一階にも関わらず
ふらつくくらいの揺れ、、、
地方ということもあり、おっとりしている行員さんに代わって
そこにいる人達を駐車場まで連れて行きとりあえず安堵。
駐車場のポールは電気系統が麻痺して上がらず、帰りたい客が
徐々に騒ぎ出す。ビルの地下の大層なポールじゃないのだから
手で上げろとまた指示を出す私たち。
都内に戻れずそこから数日千葉に足止めになったあの日を思い出します。
このときはテレビで津波注意報の赤いところにいたし、少し経ってから
海の近くに行くと道に魚が上がって死んでいる姿を見ると
津波が身近なものに感じましたが、今都内で暮らす私たちはやっぱり
他人事になっているように思います。だからこそ今日くらいはまだまだ
復興出来ていない人達、身近な人を亡くされて心が癒えていない人達。
その人達に何も出来ないけれど、その人たちとその人たちに関わる人の
コミュニケーションに少しだけお力になれればと思い、、、
「タイプ別癒す方法と癒される会話」
に関して少しだけお話ししようと思います。
「癒す」「癒される」というと優しく関わるとか共感すると共感を基に丁寧に伴走して。。。なんてことを皆さんイメージされると思いますが、その類の癒しは基本相手軸に合っているものです。
相手軸はそもそも共感や寄り添いを好むから。でも他のタイプに良かれと思って同じようなことをしても疎ましかったり苛立ったりすることがあります。
では自分軸や社会軸はどんなことをされると癒されるのか。
自分軸の気持ちが動くとき、行動に結びつく感情は「悔しい」です。
乗り越える
成長する
手に入れる
というところに感情が結びつきます。だから自分自身が納得することや
自分が欲しいものが手に入るということにモチベーションと自信が存在します。
ということで大切な人を失ったり、今現在仕事がままならない人に気持を考えて寄り添ってあげても、欲しいものを手にしていない自分軸は放っておいて!という気持ちになります。そこでこんなに考えて上げているのになんて恩義せがましい空気を放とうものなら、逆鱗に触れてしまいます。
折れた心を立ち直らせるのは新たな目標を持って自身が立ち上がり歩き出すことです。
自分軸を癒したいなら「新たな目標」を明確にするお手伝いをして上げましょう。
お手伝いと言っても甲斐甲斐しくするのではありません。情報提供など具体的に前進できそうな関わりをするということです。
社会軸は寄り添うだの、共感してあげるだの迷惑の極みです。
格好悪い自分を見られたくない彼らは、目を細めて優しい笑顔をされて「分かる分かる~」なんて言われようものならなんて無神経な人なんだろう!みっともない私を見てさげすんでいるんだろう!なんて思うことだってあります。だから共感だの寄り添うは自分をみじめに感じさせる手段にしか考えられない。
それより、格好良いその人を信じて今のあなたは仮の姿なのだと思うけれど、格好良い姿のあなたしか私は見たくないから少しでも格好つけられる状態に戻ったら連絡をして欲しい!などと、その人の格好良い姿を信じ続け、期待しているという感情を伝えることで今のその姿は見てみぬふりをして上げることが優しさだったりする。
PPFにはその人の性質が8種類入っているし、3軸の中でも違う分類が色々かるから
今日お伝えしていることは大味も大味です。
が
ここで一番伝えたいのは「自分のフィルターを通して見るな!」ということです。
好きな人だから、大切な人だから元気になってもたいたいという関わりをするのでしょうけれど、自分のフィルターを通した関わりをすることでかえって相手を傷つけたり苛立たせたりするということです。
思い込みは人の優しさを止めてしまいます。自分のフィルターをはずし、固定概念を置いておいてその人をしっかり見るようにして欲しいと思います。
さて、午後からも有意義な時間をお過ごしください。